20数年前、サラリーマンだった僕が独立し、セミナー講師としての仕事をする事になった途端、なぜか「先生」と呼ばれる機会が増えました。
初めは「えっ? 僕は先生と呼ばれる様な人物ではないのでやめて下さい」と言っていたのですが、その度に、ちょっと困った顔をされるのも違うなーと思い、今は「きっと便宜上、先生と呼んではるんやろうから、それなら、ご自由に呼んでください」と、その呼称に特に反応する事をやめました。
ところで「先生」とは、そもそもどんな人なんでしょうか?
AIさんに訊いてみたところ・・・、「先生」は、教える人や指導者、学識ある人全般への敬称で、学校の教師だけでなく、医師、弁護士、政治家、漫画家、スポーツの師匠など、知識や経験が先にあり、教え導く立場にある人全般を指し、敬意を表す言葉。 との事で、語源としては・・・、「先」と「生」から成り立ち、「先に生まれた人」「先に物事を学んだ人」という意味を持つ。 だそうです。
なるほど・・・。 知識や経験を伝え、教え導く立場という意味で言うとセミナー講師もその類に入るのでしょうし、その立場にある人全般とあるので結構、立場の範囲も広い。 さらに、歳を重ねるごとに受講者が僕より年下の方が増えてきたと言う印象もあるので「先に生まれ、先に学んだ人」として「先生」になってしまうのかもしれませんね。
という具合に、言葉の意味としては理解できたのですが、まだ、ちょっと腑に落ちないのは・・・、きっと「先生」と言う言葉の重みを僕自身が勝手に感じているからなんでしょうね。
僕にとって「先生」とは「聖職者」です。 とまではいかないにせよ、私利私欲を出来るだけ排し、一日24時間、一年365日、ずっと対象者達の事を考え、寄り添い、さらに世のため人のために正しい行いで尽力する人。 そんなイメージがあります。 もちろん、先生も人間ですから論はありますが、それでも先生と呼ばれるに値する人の僕のイメージは、そんな人なんです。
そう考えると・・・、セミナー講師である僕は決して、そうではありません。 私利私欲を出来る限り排そうと心掛けてはいますがビジネスである以上簡単ではないですし、その場限りの出会いで終わる場合も多いセミナーにおいて、長く受講者さん達と関係を持ち、考え続ける事も難しい。 ひいては世のため人のためになんて、もちろん、そうありたいとは思いますが、その域に達しているとは言えません。 そして、僕がお伝えすべき正しさとはなんだ?!と未だに考え続けている始末。
だから、あくまで僕の中での「先生」定義と「セミナー講師」はイコールにならないという結論です。 また、先生と呼ばれて、まんざらでもないと勘違いしてしまったら、それこそ(僕は)終わりだなとも思っていますし。
なので、いつまでたっても僕が目指すべきは・・・、「先生」と呼んで頂く身分ではなく、あくまで「小さきセミナー講師」として、小さき自分の目の前の、小さき事を考えながら、常に悩み、もがき、そこから染み出た小さきアイデアを自分勝手にお伝えさせて頂くという事です。(僕の場合ですが)